最近、「石の上にも3年」という出来事をよく体感できることがありました。自分の経験ではなく友人からの愚痴を聞いたときに石の上に乗っている友人を想像して相手には悪いのですがついつい笑ってしまいました。20年以上前の研修医の頃には「石」ではなく「医師の上にも3年」と思って頑張ってきました。それは医師になっても最初の頃は国家資格を持っているだけで何の役にも立たない石(医師)ころのようなもので一人前になるには3年は我慢して石にしがみついてでも技術を習得しなければと当時思っていたわけです。
最近の出来事、それは50歳近くにもなって転職した友人。新しい職場では自分より年下の上司に嫌味を言われます。そして自分より更に年上で目の上にたんこぶのある小太り爺さんの上司からも拍車をかけて攻撃(口撃)をされます。「そんなこと、転職する前からわかって転職したのでしょ!」と私の冷たいダメ押しです。「そりゃそうだけど・・・・」とそれ以上の返答がありません。その時に「石の上にも3年って以前言ったのを覚えてる?」とたたみかけます。それは老婆心ながら半年前に私自身が言った言葉です。それはどういうことか解説しましょう。世の中には自分で考えて動ける思慮分別ある人間と全く180度正反対の動けない人間もいます。そして不思議とできた人間は害がなく、できない人間ほど害が多いようです。そのようなできない人間は頭の中が化石と化してガチガチの石頭で全くと言っていいほど融通がききません。更に川の石ころのように水が流れないと動きません。つまり自分の意思(石)では動かないと言うよりは動けないのです。そのような人間ほど文句ばっかり言うのです。そんな環境にいると昔流行った3年B組金八先生のあの有名な「くさったミカン」覚えていますか?あれと一緒です。一緒にいるとまともなみかんまで腐らせてしまいます。それでもあなたが選んだ「未知なる道」です。「そんなときにはその石頭の人の上に君が乗って一休さんのように座して3年間はがんばりなさい」という意味で「石の上にも3年」という名言(迷言)があるのではないかと相手に話しました。するとその内容が妙に腑に落ちたのか?落ち込んだ相手にうけて「よし、頑張ってやる!」と笑って帰って行きました。でも「どうしてもダメなら逃げもあり」とも付け加えました。
やっぱり人間辛抱しないといけない時は必ずあります。無駄だと思っても逃げ出してはいけないことも多々あります。しかし「どうしてもダメ」と思った時は走って逃げてもいいのではないかと近頃よく思うのです。周囲から罵声を浴びせられ信用も失墜するかもしれませんが、自らの命を絶ついじめ自殺や理研の笹井先生の自殺は考えさせられました。走ってでも逃げてほしかった。逃げてほとぼりが冷めてまたひょっこりと現れるのもありではないかと最近50歳を過ぎてから思うのです。それを周囲が早く察知してあげることも大切ですが、日本の古くから続く武士道でこと切腹に関しては周囲が許容できる成熟した社会に進化していけば、一人でも尊い命が助かるのではないかと勝手に思っています。
「合掌」