10月の初旬より我が家では自宅でテレビ禁止の日々が続いていました。なぜそうなったかと言いますと、子供たちがテレビを見始めるとダラダラとして次の動作を起こさず「さっさとしろ!」と言ってもなかなかおしりに根を張ってしまい動き出さないからです。また「今はテレビを見る時間ではない」と約束していたのに、こっそりと次男がテレビを見ていたのが私にばれてしまい、私の逆鱗に触れ「テレビ禁止令」が発動されたわけです。昔の巨人の星だったらちゃぶ台をひっくり返したかったのですが、現在はちゃぶ台などありません。せめてもと思って勢いよくテレビまで走って行きました。次の瞬間、私がどのような行動をとるか子供たちの目には興味があったかもしれません。かっこよくテレビを倒してやればよかったのですが、さすがに先立つものが頭の片隅をよぎります。結局はコンセントを勢いよく引っ張り抜いたのが精一杯のパフォーマンスでした。
ではテレビを見なくなってからどのように生活習慣が変わったのでしょうか?ただし情報収集のため個人的にはネットで情報は仕入れましたが、朝や夜の7時の定番のNHKニュースなどは見ることができません。それだけでも世の中から置いてきぼりを食らったかのような錯覚に陥ります。また意外に困ったことはその日の朝に山口県の当日の天気予報と週間天気予報を必ず見ていたのですが、見なくなってから今日の午後から天気が崩れるでしょうという風な予報がわからず傘の準備をしてなくて雨にやられたことくらいでしょうか。全体的にみてそんなに日常生活で困ったことはありませんでした。ではテレビを見なかったら何が変わったのでしょうか。朝の時間が30分以上余ってしまって、自分の当日やるべきことが朝のうちに終了したり、次男の学校の宿題のチェックもできたりと一石三鳥くらいの効果がありました。朝は午前6時から必ず自分のための勉強時間も取り入れていますが、更に自分のための時間が確保できて、早起きは三文の徳から四文の得に変わった感じです。また夜は時間が余りすぎて読書でもしようかと思っていましたが、山口新聞と朝日新聞を隅から隅まで読んでそのまま寝てしまい早寝早起きになりました。アルコール飲んですることがなくなると子供より早く寝てしまうこともあり、これもある意味ではメチャクチャ健全生活なのかもしれません。
家族で誰が最初に音を上げて、「これからは約束を守りますからテレビを見てもいいですか?」と言ってくるかを待っていましたが、私の性格を知ってか絶対にそのような妥協を子供たちもしてきませんでした。このように現代社会の文明の利器に少し背を向けてみるのも悪いことではないなあというのが率直な気持ちです。勿論、ネットや新聞など少しは情報源を残しておかないと困りますが。テレビなどなかった先人に少しでも近づいた生活をして今の世を顧みることも非常に重要なことだと思い年末まではテレビ禁止を続けようかと思っていましたが、家族間の雰囲気がいささか怪しくなってきましたので抜かれたままテレビのコンセントは6週間で私がさして11月下旬には復活させました。
2013.12.4の朝、冷え込みが厳しくなるこの時期に毎年同じように当院のやまほうしが紅葉します。最近の社会を見渡すと自然の賢さの反面、人間の愚かさも感じてしまいます。