こいのぼり

富田川のこいのぼり昔は大型連休の前から各家庭で物干し竿より少し長めの棒を家の庭の柱やベランダなどにくくりつけて自家製のこいのぼりをあげていました。子供が紙で作った「オリジナルの魚くん」といった方がピンとくるかもしれませんね。五月の爽やかな風に吹かれてヒラヒラと舞っていました。雨が降ろうものならお手製の鯉は濡れて絵具はにじんでしまい、最悪の場合は紙が破れてしまってこどもの日まで待たずに作り直しというケースもあったように記憶しています。うちでは私の祖父母が布製のりっぱなこいのぼりを所有していましたので、小学生にあがる頃までは毎年10m程度の長い竹の棒を庭に杭で打ち付けてしっかりと固定してそれに雄雌のおおよそ4〜5mもあろうかと思えるほどの大きな鯉を泳がせていました。多分、私が生まれた頃にその鯉を新調してくれたのだと思います。その当時は多かれ少なかれどの家庭も大小の違いこそあれこいのぼりをあげていたように記憶しています。その当時はこの周辺には都会と違ってマンションなどなくどこも平屋か2階建ての一軒家でしたので、ベランダからかわいらしく鯉が泳いでいた家庭もありました。あれから半世紀の時間が過ぎましたが、今では各家庭でこいのぼりを見かけることは皆無となってしまいました。しかしこの周南地区でも更にのぼって田舎の方にいくと緑の田んぼの中に大きなこいのぼりが舞っている光景を目にします。すると一瞬でもほっと懐かしい気持ちになってしまいます。大都会と私たちの住んでいる田舎、あるいは私たちの住んでいるプチ都会と周辺の山々に囲まれた自然豊かな本当の田舎では、比較すれば一長一短ありますが、都市化が進んだ一方で昔の良き伝統をここでも忘れてしまっているのではないかと思うのは私だけでしょうか?

少し話題を変えて国旗掲揚について。昔は祝日ともなれば各家庭が日の丸を掲げていたのを思い出しませんか?今では祝日にそのような国旗掲揚をしている家庭はほとんど見かけません。勿論我が家でも掲げていません。なぜなのでしょうか?昔づくりの家では玄関の軒先に国旗を掲げるために固定する金具が取り付けてあり、それが今では錆びついています。多分10-20年以上使用してないようです。国民として国家を思う気持ちをどう表現するかは個人の自由意志で決まると思いますが、最近の国歌斉唱や国旗掲揚や靖国参拝などの問題をみても価値観の多様化や戦後社会における日本の歴史教育問題が根深く影を落としています。何が正しいかは個人判断にもよりますが、日本人としての誇りをもった生き方を見失ってはいけないと思います。

最近は家庭で見ることができなかったこいのぼりを憂いてでしょうか、地元の富田川に有志の方々がこの時期にたくさんのこいのぼりを泳がせています。そのような地域活動は大変で御苦労なことと思いますが、これからも続けてくださること祈願しています。「五月の風にこいのぼり…(みどりのかぜにさそわれて)が本当ですが」の歌にもあるように元気に舞い上がるこいのぼりを見るととても爽やかな気分になります。

富田川のこいのぼり

カテゴリー: 日常のこと, 趣味のこと パーマリンク

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です