毎年桜の花が散り、ヒノキ花粉が一段落する頃、当院のやまほうしにみずみずしい若葉が芽生えてきます。また昨年の秋から冬にかけて植えた球根から色鮮やかなチューリップの花が咲きます。そして今年も大きなピンクの花、そう牡丹の花がきれいに咲きました。この牡丹は「毎年今年で終わりだろうか?」と心配しながら見守っています。
この牡丹は10年前まで遡ります。3.11のアメリカの同時多発テロが起きて世界情勢が混沌としている中、2003年春にアメリカがイラク戦争に踏み切ります。そのようになんとなく「これから世界は一体どうなるのだろう?」という不安と出口の見えない不況に見舞われていた日本、なんとなくどんよりとしていました。そんなある秋晴れの日の午後、私は新南陽総合支所(旧新南陽市役所)に出かけて所用を済ませて車で支所を出ようとしたときのことです。コンコンと車の窓を叩く音が聞こえます。「なんだろう?」と振り向くと二人のいかにも田舎の行商らしきお婆さんが立っています。歳の頃ではおおよそ70歳くらいでしょうか。さすがにここ新南陽の田舎町でもなかなか旅行商の方をお見かけするのは皆無です。「すまんけど、駅まで乗せていってもらえんかね」と少しなまりのあるしゃべり方でにこやかに話しかけてこられました。普通なら車に乗せたら強盗でもされかねないご時世です。「申し訳ありませんが、急いでいますので」と断ることの方が多いのではないでしょうか。しかしこのときはある想いがよぎって快く乗せてあげたのです。
そのよぎったある事、それはその日から遡ること2か月、私の祖母が90歳で転倒して大腿骨頸部骨折で寝たきり状態になって市民病院に入院中でした。もともと百姓でほんの数年前までは野良仕事をするほど元気だったのですが、高齢者のお決まりのパターンです。ちょうどその頃に体調が悪化して何となくヤバイ雰囲気になりつつありました。旅行商のお婆さんが自分の祖母の姿と一瞬でも脳裏に重なったのでしょうか?
その二人のお婆さんを乗せると、向こうから「わしらー、島根県の中海の大根島から出稼ぎに来て牡丹の苗を売っとるんよ」と懐かしい島根なまりです。私も約20年前に島根県の病院に6年間勤めて、その当時大根島に牡丹を観に行った記憶も残っています。なんとも懐かしい気持ちで一杯になりました。いろいろなご縁というものを感じながら駅までほんの5分ほどでしたが世間話をしました。降りるときにお礼にということで牡丹の苗木をもらいましたのですぐに植えました。その約1週間後に私の祖母が亡くなったのです。だからなんとなくその牡丹が祖母の想い出のように思えてなりません。一時期、花をつけない年もあり「もうこれでこの牡丹の命もこれまでか」と思ったこともありますが、必死で肥料をやり、植えかえてまた花を咲かせるようになって現在に至っているのです。そのような個人的にはちょっぴり思うところのある花なのです。
今年も元気に花が咲いています。命あるものは必ず終わりが来ますが、来年も再来年もできる限りずっと咲き続けてほしいものです。