小さい頃は巷にガキ大将がいました。少し腕っぷしが強くて言葉使いが少々荒く逆らうといじめられるかもしれないと思うような男の子。しかし現在の陰湿ないじめとは全く違います。口より先にちょっと手がでるかなあ。子供心にはとても怖くてその子の言うことには逆らえません。必ず小学校や中学校にいました。昨年の同窓会でその人物が今では地元で活躍していますが、「当時はいろいろな悪さをしていたが、それを器の広い先生達が自分を掌にのせて見守ってくれていたからこそ好きなことができて今の自分があるのだ。自分が親になって子供にはとても自分がしていた昔のことなんて言えない」というようなことを言っていました。言いえて妙です。
では大人の世界では?子供には「皆と一緒に仲良くしましょう」とか「いじめは絶対にいけません」と口ではいいことを言いますが、はたして真実はどうでしょうか。大人社会では仲間はずれや悪口、騙し騙され、ルールは簡単に破る、身勝手、陰湿な行為などあげればきりがありません。個人個人がそうですから、大きな国という集団でも自国の国益を守るためという御旗を掲げてエゴばかりです。昔の日本の戦争から始まり、現在の周辺海域での他国の領土主張や人質テロ行為などもしかりです。
偉人の伝記にはマザーテレサや他の偉人が自分のことは顧みずに人々に尽くしたお話がいつも登場します。読んでいくうちに「絶対、自分なんかマネなんてできないよ」と思いますよね。「もし少しでもそのような人物に近づくことができればいいなあ、多分無理だろうけど」とも思うはずです。自分もそのように思う1人ですから。しかし自分の気持ちに余裕があればそう思えるようになるのかもしれません。今日1日の食べ物すら困るような貧困の国に住んでいたらそんなことなんて到底思えないでしょう。少なくとも現在の自分はそこまでどん底ではないためにそのようなことを考える余裕があるのかもしれません。
それでは本題です。真に強い人間とはどんな人間?という問いに対して皆さん、どう答えますか?一解答例としては、全てのことに対して「受け入れる」ことができて「許す」という行為ができる人間。過去にいろいろな本を読んでみましたが、作者それぞれ表現の違いこそあれ「心が折れそうになったときに折れないように自分を保つことができる人間」それが真に強い人間だと書いてあるように思えます。なかなか真似することはできないとは思いますが、「少しでも近づければ」と思います。それでは「そのためには何をすべきか?」と自分に問いかけてみます。ベストアンサーではないかもしれませんが、「毎日を真面目に生きること」でしょうか。その延長線上に真に強い自分がいるのかもしれません。
「昔のガキ大将は怖いなあ」と思っていた純粋な時代も自分にはあったのだと懐かしく思います。そのように昔は普通に持っていたけれど今はどこかに置き忘れてきた純粋な自分を再発見できればいいですね。いろいろな話題を見聞きして頭の中でかけ巡らせて昔の自分を探している今の自分がいますが、まだまだ偉人には程遠い自分です。