前回、久しぶりの大学同窓会について書きました。その時、仲のよかった同級生と思い出話をしていたら卒業旅行の話題が出ました。懐かしさもありその当時の記憶を手繰り寄せながら思い起こしましたが、酒の肴にはもってこいの良き思い出です。当時は3月下旬に大学の卒業式を終え4月初旬に医師国家試験に臨み、その後医師として働き始めるまでの約1か月半の間が最後の息抜きの長期休暇となり、その時に初めて海外へ卒業旅行に出かけていきます。医師になれば海外への学会出席や運がよければ海外留学で移住もありますが、なにせ20歳そこそこの学生が生まれて初めての海外です。ドキドキものです。私も仲の良かった友人と3人で3週間のヨーロッパ旅行に行きました。当時はヨーロッパ周遊の添乗員付きツアーに人気がありましたが、私たちの英語能力は受験英語と日常会話程度でほとんど身振り手振りの度胸試しの個人ツアーです。
飛行路は成田からアンカレッジ経由で北極上空を飛んでいく北回りです。今のように直行便はありませんでした。もしかしたらあったのかもしれませんが、学生旅行ですので安い運賃に惹かれてしまいます。まだ当時は崩壊前のソビエト連邦で確かソ連上空は飛行できなかったのではないかと思います。なにせ24年前、記憶も定かではありません。訪問先はイギリスのロンドンに3日、それからドーバー海峡を船で渡り鉄道で寝台列車に乗り翌朝にドイツのミュンヘンに3泊。そしてスイスのチューリッヒとローザンヌに3泊してからパリへ移動して一気にギリシャに飛行機で飛び、アテネとイドラ島に計4泊してからパリに戻って3日間滞在して帰国。今から思えば予定は未定で行き当たりばったりの道中です。その経験が後の旅行好きの土台になっている気もします。
その卒業旅行は楽しい思い出ばかりですが、有名観光地を周って見るよりも、自分たちの足で地元のバスに乗って道を間違えながら「ああでもない、こうでもない」と珍道中を繰り広げたことの方がより鮮明に記憶に残っていて、道中での一瞬の記憶の思い出がスライドのように順番に投影されてきます。例えばドーバー海峡を渡って到着した小さな港町オステンドでのこぎれいなレストランでの昼食、アテネで白タクに乗り片言英語で脅されて料金をぼったくられたこと、エーゲ海のイドラ島での小さな港町でのレストランで地元の人が「イシェエビー(伊勢エビ)」と観光客に叫んでいたことやミュンヘンでのビアホールの特大ビアジョッキの大きかったことなどなど。ちょっとした一瞬のワンショットが今でも鮮明に自分の脳裏に焼き付いています。80年代の日本は高度経済成長の最後の頃でバブル崩壊前でしたので、日本人の海外進出は「イケイケゴーゴー」という感じでした。
そのヨーロッパ旅行でこれからは外国語、特に英語のコミュニケーションが必要だと痛感しました。しかしその後、医者になってから当分の間は忙しさにかまけてその気持ちは忘れていましたが、次に大学病院でアメリカの学会で発表することになりまして、再度英語の重要性を思い知らされるはめになります。その続きはまた次回に。