最近、同窓会がマイブームです

以前からブログにも書いてきましたが、この夏の中学の同窓会の準備企画で名簿作成が終了し往復葉書で出欠の確認を大型連休前に郵送し終えて、やっとひと段落ついたといったところです。ちなみに所在が判明した同級生が300人中8割弱で、住所不明が50人弱でした。最近のキーワードは「同窓会」でマイブームとなっています。去年のお盆は高校の同窓会、この6月には大学の同窓会が東京で4年ぶりに開催されます。大学といっても医科大学の卒業生ですので1学年がたかだか100人です。しかし、医学部卒業ですからよっぽどのことがない限り医師になって、研究なり医療に従事しています。中には医師以外の道を歩んでいるという噂の同級生もいるようですが、定かではありません。

先月末に厳密には同窓会ではないのですが、大学の同窓による山口県人会が開催されました。私が大学を卒業して24年になりますが、一度も開催されていませんでした。事情があったようですが、今回から正式に再発足となりました。20歳前後の山口に住んでいた田舎者がいきなり大都会の東京に出て右も左もわからぬまま6年間を新宿で過ごし、卒業後はいろいろな人生を歩みながら、結局は地元に戻って医療をしている同志という感じでしょうか。年齢も30代から70代までバラエティーに富んでいます。

約30年前に東京に出て最初に驚いたこと、それは人の多さです。特に駅では人混みでまっすぐには歩けませんでした。中央線快速で阿佐ヶ谷駅から新宿駅まで電車で通学していましたが、あの満員電車、信じられませんでした。ホームに入ってきた電車が満員だったので「次に乗ればいいや」と待っても、また次の電車も満員だったことが懐かしい思い出です。そのうち都会の人混みにも慣れ、いっぱしの都会人?になっていきました。うちの大学は新宿御苑の近くにあり、大学病院は自分の在学中に18階の建物に建て替えられ東京都庁の近くに現在でもあります。当時のテレビドラマで「太陽にほえろ」の刑事があのテーマ音楽にのって西新宿の歩道橋を走っていたのを皆さんは覚えてらっしゃいますか?かっこよかったですよね。松田優作、ショーケン、神田正輝、世良公則、渡辺徹などそうそうたるメンバーでしたよね。彼らが走っていた同じ歩道橋を歩くだけでも、自分も道に迷いながらの迷俳優になったつもりでした。勿論、最初の頃のことです。

そして6年が過ぎて医師国家試験に合格したときには本当に悩みました。東京に残るべきか、帰郷するべきかと。最終的には自分は山口の人間だと確信していましたので、あとで悩むも一緒と、即座に地元に帰り地元の山口大学の医局に入局しました。そのような同じ境遇の老若男女の集まりです。これも時代、世代を超えてその当時の話題に尽きることはありません。とっても楽しいひとときでした。よく「同じ釜の飯を食った仲間」という言い方をしますが、これも中学の釜、高校の釜、大学の釜、そして医局の釜とたくさんの釜があり色も形も味も異なります。そのいずれの釜も大切しながらこれからもじっくりと釜の飯を味わっていきたいと思っています。

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