3月6日に次男の入試の合格発表がありました。予備校の事前予想ではかなり厳しい結果でしたので結果を気にすることなく3月12日の最後の入試に照準を合わせていました。当日朝、いきなり次男からメールが入り「また撃沈か」と思いましたが、急に話しがあるとのことで暗い気持ちで電話しました。電話の向こうでは本人もかなり混乱して「今、写メ送信したけど合格した」とのこと。こちらも想定外の展開で完全に慌てふためいている自分がいます。そして突然の私の受験戦争からの卒業となりました。長く苦しかった日々が走馬灯のように流れてくる予定でしたが、現実には流れずにただ唖然としています。
このような大どんでんがえしは一生に何回も訪れることはありません。まず自分が大学入試を終えてまだ合格をもらえずにいた時、本心では浪人かと思いながら当時の広島のYMCA予備校のクラス分け試験を受けていました。本来なら撃沈されたので意気消沈しているはずですが、長い受験戦争を終えて数週間しか経過していませんでしたので、浪人生になるかもしれない恐怖よりもまずは一旦はやり終えたという達成感の方が大きかったのだと思います。そして運命の春分の日です。予備校のクラス分け試験を受けていた途中の昼休みに親から電話がかかってきて補欠合格を聞いた瞬間、やっと受験地獄から解放されたというほっと安堵したあの感覚は今でも鮮明に記憶しています。予備校の試験は途中で止めてルンルン気分で新幹線に乗りました。その後入学するとそれまでの反動もあり全くと言っていいほど勉強しませんでした。必死になるのは前期試験と後期試験の1か月前からです。その割には小心者だったため授業にはまじめに出ました。しかしその授業も出席が目的で勉強が目的ではなかったように記憶しています。それならもっと大胆に授業をさぼって遊んだほうがよかったのかもしれません。都会生まれの生粋の浪人した江戸っ子たちはそのあたりの要領がよく当時の自分は真似できませんでしたが、その行動には魅力がありました。そのような自分にない世界を体験させてくれたのも大学の良い部分だと思います。しかし試験に限っては生粋の江戸っ子も関係なく普段真面目に勉強していないものは皆泣きそうになりながら頑張りました。そして追試もかなり受けましたが、その試験が終了した時のちょっとした束の間のほっとした安堵感が今と同じ気分なのです。そのような試練にも耐えてどうにか卒業して現在の自分があり、その時の経験が社会人になってからのメリハリや要領の良さや集中力に繋がっていると確信しています。
次男も今は少しほっとした気分だと思いますが、実際には今日の結果が出た瞬間からその結果に応じた次の行動を起こさなければなりません。関西か関東かと揺れ動いた2カ月でしたが、更に北への準備となってしまいました。あと1ヶ月もすれば入学式で、急にドタバタが始まります。もう少しほっとした気分でいたいと思っていましたが、想定外の急展開で少しほっとした気分はほんの一瞬で過ぎ去りました。