今年の世相を反映する漢字は「戦」でした。戦いには色々ありますが、やはりロシアの仕掛けたウクライナへの侵略戦争に尽きます。その他の戦いにはコロナとの戦いやドーハでの戦いなど数多くありました。平和な世の中でスポーツなどの競争で「戦」という言葉を使用する場合は気持ちを鼓舞して勇ましくも聞こえますが、本来の意味を兼ね備えた場合はあまり好んで使用する言葉ではありません。元来、生きる者は全て何かしら「戦」が存在します。動物などは本能的な「戦」をしないと自らの存在さえ否定されてしまってやむを得ず戦います。一方で高度に脳みそが発達した人類もやはり「戦」は存在します。その「戦」は生存をかけた「戦」というよりも「欲」が絡んだ「戦」と表現した方が適当かもしれません。実際にはしなくてもよい「戦」を敢えて行うという「人間の性」が背後にあるのかもしれません。
しかしそのような一方的なご都合主義で「戦」を吹っ掛けられたウクライナの人々はたまったものではありません。あと2か月もすれば戦争が始まって1年が経過します。第三者からみれば「落としどころを探る」という言葉も存在しますが、犠牲は出てもウクライナからすれば結果として「勝つ」しか選択肢はないでしょうから、どこかで妥協は到底できません。それはもし日本が隣国と同じ状況になれば同様のことです。最終的には国連や戦勝国の安保理の国々が努力して解決するしか手段はありません。しかし現状では今回の戦争やコロナ対応そして弾道ミサイルや核開発など全てにおいて国連は機能不全に陥っています。結局、一度ガラガラポンとこれらの全ての枠組みを組み替えなければどうにもならない所まで来ているような気がしてなりません。一方で一度崩壊した枠組みを作り直すには気の遠くなるような時間が必要になります。ですから結局は現状の枠組みでどうにかして妥協を引き出すしか選択肢はないのでしょう。日本国内でも多くの「戦」があります。大きな目で見ると「そろそろコロナも3年経過するからお開きにしましょう」と言いたくなります。世界ではマスクもつけずに普段の生活に戻りつつあります。勿論、感染者は多数いますが、インフルエンザなどその他大勢の敵と同ランクに位置付けられつつあります。来年早々には日本も早くこの流れに乗らなければなりません。
では私の個人的な今年の漢字は「忍」でした。努力をしてもなかなか自分たちの思った通りにはならないという現実があります。まだまだ「戦」は3月までのラストスパートが残っていますが、志望校が1校ごとに撃沈されていくと戦う意欲もかなり低下します。その中でいかにモチベーションを維持していくかは並大抵の事ではありません。当人は更にしんどいのは傍から見ても十分理解でき、その仕草を見せないようにしているだけでもこの1年で成長したと思います。皆が夢を叶えられることなんてあり得ません。人はどこかで挫折して夢を諦めます。そして諦めて荒れた大地からも雑草は生えてきます。そしていつかは森になります。踏まれて挫折しても何度でも立ち上がれる強い心の持ち主になってほしいと願って今年の漢字の「忍」から来年の「希」にタスキを渡したいと思います。