昨年も秋に気が晴れませんでした。毎年一度は台風がやってきて被害が無ければいいのにと気をもみます。そして台風一過の秋晴れで気持ちも爽快と言いたいところですが、なかなかそうもいきません。なんとなく鬱々とした日々が続きます。何か目の前にトラブルがあるかといえばありません。何となく気もそぞろです。これは「自分のバイオリズムが丁度下降曲線に突入しているのか?」などと要らぬことも考えてしまいます。最初はその理由がわからず鬱々としていますが、ものの1週間も経過するとモヤが晴れてきます。そうなのです。理由は子供の受験が自分の身に降りかかって鬱々とした気分になっていたのでした。全く自分の事ではなく他人事なのに見えない力が自分に重くのしかかっていたのでした。結果が良かったからモヤが晴れたのではなくその緊張感から解放されただけなのです。ですから1か月後の結果発表が近づくと昨年と同じようなまた鬱々とした気分になるのです。それで良い結果が出れば「めでたし、めでたし」なのですが、人生そんなにうまく事は運びません。その押し寄せては引いていく波のように交互に気持ちはジェットコースターのように上下左右に揺れます。いつも思います。本当に赤の他人事なら全く悩むなんてことはあり得ません。少しでも自分に関係するから他人事ではなくなるのです。一番苦しいのは身内の場合です。寧ろ身内の事を悩むくらいなら自分で悩みを解決する方がとても楽です。しかし自分では解決できても身近な他人事はなかなか解決の糸がみつかりません。自分が口を挟めば更にややこしくこんがらがる事さえ多いのです。そんな鬱々とした気分が爽やかな秋晴れの元で蠢いているのです。
11月初旬もそうでした。受験を終えて帰ってきた時は一時的にモヤが晴れますが、数日もすると更に霧が濃くなってきます。結果が出る数日前はどん底です。そしてその時思います。感情をコントロールできればとても楽なのにと。仕事が忙しければその時の一瞬は悩まずに時間は過ぎていきます。しかしふっと気が緩むとまた思い出します。その繰り返しですが、人間は感情の動物なので致し方ありません。そのような感情の浮き沈みをどうにかうまくコントロールできないかと過去に何度もいろいろと試みましたが、うまくいった試しがありません。結局は「自然に任せる」のが最善だと気付きました。「全ての物事はなるようになる」という普遍の原理に行きつくことができれば少しは感情をコントロールできるようになります。そして昨年よりは少しは自分も成長したのかなと感じることもありますが、少し大きな波が寄せてくるとやっぱり自分はまだ成長してないことに再び気づかされます。長い人生ですからそれはそれで良いのですが、その場を乗り切る最中はやはり辛いものもあります。皆さんも多かれ少なかれ同じような経験をお持ちでしょう。
結局、そのような繰り返しを経験しながら1mmでも前進するしかありません。今回は子供の受験で気分の鬱々した状況でしたが、あと数ヶ月もすればまた別の鬱々とした気分になるかもしれません。ずっとこのラビリンスは続いていくのでしょうか?