本音で生きる

先日、ネットでトム・クルーズのインタビューがありましたが、彼はこの数年間全く休暇を取っていないと言っていました。映画を撮影することが仕事でありその「夢の中で生きている」から休暇など要らないそうです。「かっこいいな」と率直に思いました。また映画を撮影するために世界中をプライベートジェットで飛び回りその夢の中のトリップで歴史ある建造物や自然を背景に撮影をすること自体がとても楽しいのだそうです。また彼は人一倍努力家で今までにもスタントマンなしで危険な撮影をこなして体を張っていますし数々の素晴らしいシーンを自らで撮影しています。そのような世界的な大スターの言葉ですからその言葉に重みがあります。今回のキーワードは「夢の中で生きるトム・クルーズに対して自分の生き方は?」と聞かれたら何と答えるだろうかと考えてみました。その答えが「本音で生きる」というフレーズが自分に最も似合っているように思います。

本音と建前というのが対語になりますが、子供時代は思うままに本音だけで生きることができました。しかし小学生くらいになると周囲の大人に気を使い始めます。それが両親であり学校の先生かもしれません。その時点で建前の世界に入り込み忖度の世界も垣間見えます。人間は一人で生きていくことは不可能ですのでどうしても相手が存在し気を使います。そうすると思っていても言わないで相手の事や現在の自分の立場を考えて言葉を選んでついつい建前を言ってしまいます。それは仕方がないことで全然悪いことでもありません。自分も本音と建前の世界を行き来していましたが、建前の世界がほとんどだったと思います。一方で以前の勤務医での生活や開業して一国一城の主になっても借金がある時代はやはり本音と建前の中を行き来しながらも建前の生活が多かったように思えます。父親が亡くなり借金もなくそしてもう少しで子供も自活できる一歩手前の人生までくるとあまり建前は言わなくなりました。思ったことを思ったままに言ってもそんなに障害もなくとても自分にしっくりくるのです。もしかしたらその本音を聞いている周囲は大変なのかもしれません。よく家内が自分のことを周囲も気にせず子供たちより子供っぽいと私のことを表現しますが、まさにそのことを言っているのだと思います。

自分では少しは周囲に気を使っているつもりですが、周囲から見ればそう思われてないのかもしれません。しかし周囲の目を気にせずに自分の思った通りに本音で生きることができれば現在の複雑な世の中でもほとんどストレスフリーでしょう。そのようになるためには全ての事に対して努力することが大切ですが、更に自分の手足が縛られるような足かせが無いことが必須です。その両輪が揃って初めて自分も建前でなく本音で生きることができるようになるのではないかと思います。別に建前で生きることを否定しているのではありません。本音で生きる方が建前で生きるよりも遥に生きやすく少しでも近づきたいと思っているだけです。現在の自分の状況は本音8割といったところでしょうか?トム・クルーズのように本音ならず夢の中で10割生きてみたいものです。

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