大晦日の夜に年1回の復刻イベントとしての徳高ラーメンを食べてきました。とは言ってもこれもローカルな話なので背景から話しましょう。
昨年の8月に高校の同窓会がありました。その時での会話。「去年の大晦日に母校で1日限りの徳高ラーメンが復活したのを知ってたー?」「ええー、マジイッー。知ってたら行ってたのにー」僕たちの高校時代に体育館の地下に食堂があり、そこの豚骨醤油ラーメンがその当時の自分にとってとても美味しかったのです。しかし卒業して以来その話題も味も自分の記憶から忘れ去られていました。14年前に食堂の業者が交代してそのラーメンが消滅してしまったらしく、その当時の味を懐かしむ地元の有志が、その当時の食堂のおばちゃんを訪ねて秘伝を教えていただき、一昨年の大晦日に一夜限りの復活を成し遂げたそうなのです。私もその話を聞くまでは徳高ラーメンのことなんて頭の片隅にもなかったのですが、その話を聞くとパブロフの犬のようにその当時の「あの味」が脳裏に味覚となって甦ってきました。
その話はその後すぐに忘れてしまいましたが、年も押し迫った年末に今年も大晦日に一夜限りの復刻イベントを母校の中庭でやるとの情報を聞き、今年も残すところ6時間となった母校の中庭に「あの当時の味」を確かめに行ってきました。最初にその素朴なラーメン、当時250円か300円くらいだったような記憶ですが定かではありませんが、を目の当たりにして一気にその当時の記憶が甦りました。しかし30年もの時を経てその復刻ラーメンと対面してもまだピンときません。その当時の記憶を丁寧に甦らせながらコショウをふりかけて、一口スープを口に含み麺をすすります。「ああっー、あの味だあー、あの麺だあー」と一気に脳裏が当時の味覚を感知しました。
勿論、その後にもっと美味しいラーメンもいただきました。しかし10代後半の当時の味覚で美味しいと感じた記憶も今まさに蘇っているのです。美味しさに順位をつけることは簡単ですが、その当時の味覚、感情まで加味した順位をつけることは大変だと思います。先日、別の方のブログで「入試合格発表後の帰りの電車で食べたコンビニで買ったおにぎりがこの上なく美味しかった」と書かれていました。全く一緒だと思います。高校での運動会の後にうちあげで乾杯した「麦茶」は今でも最高に美味しかったと自分の味覚は覚えています。「大人になったら乾杯はビールだけど、お茶で満足できるのもこれが最後かもねー」と話したことをまるで昨日のことのように思い出しました。
「三つ子の魂、百まで」という諺がありますが、舌の感覚も同じではないかと思います。いくらその後に究極の美味なるものを食べても、脳裏に残る味覚はその当時の背景、感情を含めて頭の引き出しに保管されるのだと思います。だからこそ大晦日の一夜限りのラーメンの舌からの味覚とその当時の記憶がミックスされて、現代に甦ってきても美味しいと感じてその当時を懐かしむことができるのだと思います。歳をとるにつれて過去を振り返る機会が増えてきましたが、もっともっといい歳を重ねていくためにたくさんの素晴らしい記憶を脳裏に残していきたいと今は思っています。
今年の大晦日も徳高ラーメンが復刻されるならまた是非とも行きたいと思いを馳せながら、復刻イベントにご尽力いただいたスタッフに感謝したいと思います。