最後の晩餐という言葉がありますが、「もし明日死ぬとわかっていたら最後の晩餐は何がいい?」と聞かれても実際には困ってしまいます。多分旨い物をたらふく食べて胃は満たされても心は満たされないでしょう。この質問は極端ですが、もう少し穏やかな質問にしてみます。「定年退職まであと残り1年ですが、あなたは何をしますか?」という質問ならどうでしょうか?その質問でも結局は今までに積み上げてきたものをしっかりと後世に引き継いでもらえるように淡々と粛々と今までと変わらず続けていく」という答えが多いのではないでしょうか。このように質問を変えても結局のところ今まで頑張ってきたことを続けていくことが一番大切な事ではないかと思います。
話を少し変えますが、物事は始まりがあれば終わりもあります。普通は最初から期限がある場合を除けば始まったときに終わりの事など考えません。また期限をきられていたとしても始まったばかりの時に終わりの事は考えません。自分でも1年後に終わりが来るとわかっていても終わった後の事を考えても実感が湧かずに「考えても無駄で、終わってから考えよう」と先送りしてしまいます。実際には終わってみても本当に終わったという実感が湧かずに抜け殻のようになって当分の間はロス症候群に陥ります。そして1週間、2週間と経過していくうちに少しずつ「次は何をしようか」と考え始めます。その中でも過去の遺産を顧みながら次へとステップするのはなかなか難しいことです。だからこそ明日の事を考える前に今日の事に集中する方がより良いのではないかと最近考えるようになりました。昔、何かの本に「自責と不安は最大の無駄」書いてありました。自責とは過去を振り返って自分を責めて思い悩むことで、不安とは未来の不確定な事を思い悩むことです。両方とも思い悩んでも時間の無駄であると言う事です。過去はいくら振り返っても時間は戻ってきませんし、未来はどんなに思っても思い通りにはなりません。結局は今生きている現在をしっかり生きる事、そのためには過去の事は責めるのではなく今日の為に生かすことです。そして明日という不確定な未来をいくら不安になって思い悩んでも実際に明日の朝になってみれば「どうして昨日はあんなに思い悩んでいたのだろう」と言う事も多いのではありあませんか。つまり不安の9割は自分の中での幻想に過ぎないと書かれていました。この言葉が妙に私の心の中でずっと支配し続けています。
「もし明日死ぬとわかっていたら今日は何をしたい?」と再び質問されたとしても多分昨日と同じことをしているだろうと思います。あと3か月あると言われれば遺書を書いて身辺整理をするでしょう。1年残っていれば半年間は今までできなかったことを思う存分しまくって残りの半年は穏やかな気持ちで送るのかなと思います。人それぞれ皆考え方は異なりますが、最後の最後の死ぬ直前に一言「ああ、いい人生だった」と言うために必死で今を生きてもがいているのだと思います。それはお金や地位や名誉ではありません。純粋な自己満足で良いのです。