才能とは天から与えられた贈り物でそれをいかに磨くかは各個人の努力です。しかし遺伝子という最初からの格差はいかんせん埋めようがありません。ですからどこの世界でもその道を究めた人物はその道の才能があってそれをうまく引き出すことが出来た人物と言えるでしょう。一方でいくら才能があったとしてもその才能を発揮する機会に恵まれない場合や生きている間にその隠れた才能さえ発見できない人も多くいます。現代社会には非常に多くの職種があり多くの場面があります。各個人の才能を発見して磨くシステムがあれば社会の中で各個人のチャンスが更に増えて社会貢献も増えるはずです。
ではその才能を発見して育てていくシステムとはどういったものなのでしょうか。多分それは幼少期から成人するまでのほんの20年弱ではないかと思います。その間に必要な教育を受けて基礎となる土台を築かなければその上に何を乗せても大成しません。日本ではその最初の土台構築には義務教育という非常に優れたシステムが存在しますので読み書きができない人はまずいません。しかしその土台作りの後の二段目を伸ばす教育は、日本ではそれこそ画一的そのもので、思春期以降に伸ばせるものも伸ばせない環境に置かれているのではないかと以前から思っていました。6・3・3の12年教育を戦後日本はずっと維持してこれからも変わらず続いていきますが、この画一的教育方法が逆に多種多様に富む各個人の才能を伸ばす弊害になっています。今の教育システムでは高校入試や大学入試という狭き登竜門の切符を得るという目的のために学校と塾と家庭が護送船団として一体となって、特に後半の中高の6年間が費やされます。やりたい目標が名家腕そのために希望する大学に入学するのであればそれで良いのですが、人生をたかだか20年も生きていない人間で自分のやりたいことが決まっている若者なんてまずいません。あなた自身の高校時代を振り返ってみて当時「あなたは18歳の時に自分の将来で何をしたいか」決めていましたかと質問されればおそらく「NO」という方が多いのではないでしょうか。
ではその画一的な護送船団方式教育から抜け出して新たな才能を見出そうとすると現在の教育システムでは一般社会が多分それを許してくれません。まず「入試で結果を出しなさい」と天の声が聞こえてきます。しかし数年後の大学卒業の頃には年齢も重ねて就活もあり、もう一度自分の才能を発掘し直してみようという気は起こりません。アメリカでは何度も転職を繰り返すことで個人のキャリアに磨きをかける事ができますが、日本での転職は必ずしも良いとは限りません。それでも最近の日本はマシにはなってきましたが、もっと自由に動いても文句を言われない風通しの良い社会になる事を期待します。もう一点は幼少期から本人の隠れた才能を見出してそれを伸ばす事ができる教育システムが既存の6・3・3のシステムの前に6を追加して6・6・3・3システムにすべきですが画一的では意味ありません。これからの少子化社会では小学入学前の6年間にいかに子供の多種多様性を求めて発掘できるかがこれからの日本の未来を決めるのです。