ステイホーム週間が終わり緊急事態宣言も1か月が経過しましたが、引き続き現在進行中です。オーバーシュートはどうにか回避できそうですが、予断を許しません。また都会から地方に水が流れるように新型コロナも拡散してきます。山口県は広島県と福岡県という両隣に百万都市がありますので都市並みの警戒が必要です。東京の日々の新型コロナの新規発生数がそのまま1-2か月後の地元の状況に酷似するはずです。そのため「頼むから東京都民は静かに自粛して!」という気持ちでいっぱいです。ステイホーム週間でも東京や大阪の一部のパチンコ店は自粛要請を無視して営業していましたし、沖縄にも観光客が多くはないものの行ったようです。一部を除いて不要不急の行動もかなりあったと推測されますが、結局は自らの手で自粛期間を延ばして皆が苦しむ時間が増えるだけです。それでも日本は民度が高いため自粛要請に大半の方が罰則なしでも従います。一方、欧米諸国は罰則規定を設けなければ日本以上に要請に従わないのでしょう。ではなぜ日本がそのような厳しい措置や命令ができないのかと言われれば、いろいろと理由はありますが、やはり戦前の日本を軍国主義に突っ走らせた法律をアメリカが現日本国憲法から追い払った結果だと個人的に思っています。その平和憲法がこのような非常事態の時には機能しにくくなり最悪の場合機能不全になります。どちらがいいかという議論ではなく、非常事態の場合はもっと迅速に強い権限とリーダーシップを発揮してほしいと政府や国会に望んでいるのは私だけではないでしょう。一方で反対勢力は時の政権が暴走する危険性を指摘して抵抗を試みます。現政権の過去を振り返るとその暴走も否定できません。そしていつもと同じ双方の綱引きが始まります。結局は決められない政治が双方の落としどころを見つけてソフトランディングするのが目に見えています。
5月4日に緊急事態宣言が延長になりました。そのためこれからまた1か月間は悶々とした日々が続きます。それでも3月から外出もほとんどせず、自分の仕事と残りはいろいろと考える時間を十分に確保できました。今回の騒動が一段落しても今までの普通と思っていた生活が一変する事態が天変地異も含めてこれからも次々に起こって来るかもしれないと思うようになりました。現在のIT化で便利な生活を享受していた社会が一旦電気を奪われるだけで社会はすぐに機能不全に陥ります。台風、洪水、地震しかりです。過去から人類は繰り返す感染症との戦いだったと表現する人もいます。ノーベル賞の山中先生は「ウィルスとの共存」という言葉を使用されています。「戦いによる克服ではなく共存」です。地球温暖化も結局は人間が勝手に便利な世の中の追求のために生まれた副産物とも言えなくはありません。世の中は「誰かが得をすれば誰かが損をする」というしくみになっています。一人勝ちはあり得ません。今回の騒動によって我々人間だけではなく「全ての生物の共存共栄」を考えて我々の社会のしくみを変えていかなければいけないのかなと少しばかり思うようになりました。