以前のブログで「約束を守ること」はお互いの信頼を得るためには大切であると書きましたが、今回は「時間厳守」についてお話したいと思います。時間厳守もお互いの信頼関係を築くには必要不可欠です。それを強く感じたのは高校生の頃でした。中学生まではほとんど学校とクラブ活動でそんなに人との交際で時間を気にするほどの事をしたりされたりということは皆無でした。敢えて言えば学校の授業に遅刻しないくらいの事で自分も含めて周囲の友人も体調が悪くて欠席することはあっても授業開始に遅刻してくることはありませんでしたので、時間厳守は当然でした。ところが高校になると同じクラスの人が平気で朝のホームルームに遅刻してきて担任が名簿にその生徒を遅刻と書き込む行為が多々見受けられました。それも一人や二人ではありません。中学までそのような光景を見たことがありませんでしたので高校の朝のホームルームはある意味異様な雰囲気でした。当時の自分にはとても違和感を覚えたのです。また高校生になると中学生以上に友人との付き合いが増えましたが、友人同士でも少しずつ時間にルーズな人間が出始めてきましたので個人的にはなるべくそのようなルーズな付き合いは避けるようにしていました。
この時間厳守という観念が根底から崩れたのは大学生になってからです。上京して一人で生活を始めると前日夜にバレーボールをしてそれから飯を食って飲みに行ってというよくある大学生活を送っているとその疲れで翌朝時間通りに起床できません。人間は歳を取ると目覚めが早くなり朝の5時頃には起きてゴソゴソと活動を始めますが、当時の20歳そこそこの若者はなかなか朝時間通りに起きることができないのです。後に我が子を見ながら「若い時は寝ても寝てもそれでも眠い」という気持ちが痛いほどわかりましたが、当時の自分には理解できませんでした。大学生になって初めて自分も時間厳守ができずに大学の講義に遅刻してしまうことが出てきたのです。一般的に当時の大学はどこでも似たり寄ったりですが、遅刻すると誰かが代返したりしてお互いにカバーし合います。入学当初はその行為に対してとても嫌悪感を覚えましたが、半年もするとそれが普通になってきて自分もそのうちの一人に組み込まれました。周囲の同級生は関東出身の浪人生が半分を占めていましたので、現役で都会を知らない地方出身者から見ると「都会のませた人達は遅刻するのも一つのトレンドなのかなあ」くらいにしか思えませんでしたが、半年で見事に私も都会人に変身できたのです。そして6年間の学生生活では時間厳守というボキャブラリーは儚くも私の中では消えてしまいました。
卒業間近になって「社会人になったら大丈夫か?」と心配しましたが、社会に出れば学生時代にはいい加減と思っていた時間管理を皆きっちりとできるようになり時間厳守という言葉は当然の語彙に戻ってしまいました。ちょうどハイティーンの頃に声変わりや反抗期があるように時間厳守も大人へ成長していく過渡期なのだと今では理解しています。ですから我が子の時間管理のルーズさも今は見て見ぬ振りをすることもよくあります。