「さらさら日記」と「更々日記」

今回の選挙のキーワードは「ファースト」や「希望」から「さらさら」や「排除」という想定外の言葉で選挙結果を大きく左右しました。公示当初は政権選択という期待感が高まり未来への希望の光が見えましたが、いつの間にか「さらさらありません」という強い否定と「排除します」という上から目線で希望から失望に変わってしまいました。このように言葉は一度発せられると矢の如く飛んでいき二度と自分の所に戻って来ません。戻って来るとしたらブーメランの如く自分の急所に突き刺さってしまいます。ですから何気ない気持ちで放った「たかが言葉」が「されど言葉」として後のわが身に降りかかり襲ってきます。以前「言葉は矢の如し、いつもその言葉が真実であるか?言う必要であるか?相手に対して思いやりがあるか?を考えて発言しなさい」というくだりの本を読んだことがあります。私自身の口の利き方が悪い方ですので、いつも言ってしまった後に「しまった」と反省することがとても多く「次こそは言うまい」と思ってもまた同じ過ちを繰り返してしまいます。本当に発言に関しては性懲りもなく性根がないので、今回の一連の騒動は身に染みます。一方で発言自体は「言葉に切れがある」とか「江戸っ子で気風がいい」という解釈もあります。希望の党がマイナーな党に埋没するならそれでよしですが、国を二分して過半数を取り込まなければいけない場合は「切れのある言葉」よりも「寛容のある言葉」でなければ半分以上の人を納得させることは不可能でしょう。

ところで「さらさら」というキーワードを今回なぜブログで解説するかというと私のブログが「さらさら日記」ですので、同じ言葉でも使用方法が異なると天地の差になってしまうのだと実感したからです。一般的に辞書で「さらさら」をひくと「湿り気がなく乾いて水がよどみなく流れて軽快に進むさまで物事が軽く触れ合う音」と書いてあります。どこから見ても悪い印象を与える言葉ではありません。しかしその副詞的用法や形容動詞的用法を一歩間違えてその後に「ない」をくっつけてしまうと状況は一変します。つまり「さらさらない」と言ってしまうと全く異なってきます。しかし漢字で書くと「更々ない」となって全くないという強い否定に変わってしまうのです。つまり私のブログで使用している「さらさら日記」や「サラサラ日記」と「更々日記」は根本的に意味が異なり、わかりやすく言えば「橋」「箸」「端」のような違いでしょう。その場合でも発音つまりイントネーションで使い分けることは可能ですが、なかなか文脈の中で瞬時に漢字変換を頭の中で行うことは相当な国語力が必要です。漢字の「更々」と平仮名やカタカナの「さらさら」や「サラサラ」は全く別世界のものだということが今回の「更々事件」を通して自分でも納得したわけです。今回の事件までは何気なく使用していた「さらさら日記」ですが、まかり間違えると相手を見下して全否定するような「更々日記」と勘違いされる可能性もあり注意していかなければなりません。ちなみに発音やイメージから「更級日記」を思い起こされる方もいるかもしれません。

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