地元で43年前から続く夏祭りでサンフェスタ新南陽があります。広域合併で周南市となった後も毎年8月の第1土曜日に新南陽駅前で開催されます。今年も夕方早くにひとっ風呂浴びてからタオルを首に巻いて駅前の行きつけの焼鳥屋のカウンターで道行く人々を眺めています。少子高齢で子供が少ない県で有名な山口県ですが、このときばかりは幼稚園から高校生までそして若いカップルや幼児を連れた親子連れがホコ天を他の人とぶつからないようにぬうように歩いていきます。「まだまだ富田も捨てたもんじゃないなあ」と生ビールを一気に飲み干してから焼酎のロックをいただきながら道行く人々の人間観察です。
そのうちほろ酔い加減の頭の中でタイムスリップが始まります。中学生の頃ではっきりしませんが、セピア色のフォトがはっきりと脳裏に蘇ってきます。目の前の通りに当時の私が暑い午後のクラブ活動をした帰りに祭りに立ち寄ってジュースを飲んでいます。ちなみに私はバレーボール部でしたが、体育会系のクラブはどの部も顧問の先生も悪いことをした時にはビンタや拳骨は当たり前で挙句には拳で頬を殴られ足で蹴られることも日常茶飯事でした。今の時代から思えば隔世の感がありますが、それはそれで今でも当時の先生は当時としては正しかったと思っています。また当時は地球温暖化という言葉すら存在しませんでしたが、夏のくそ暑い中で水分補給なんてもっての外の根性論が主流で「巨人の星」の世界でした。今の子供たちに「巨人の星」といってもわからないと思いますが、50歳以上の人ならわかる「中年の星」のスパルタ、ド根性物語です。殴られても蹴られてもちゃぶ台をひっくり返されてもひたすら耐えぬいて巨人のエースをつかみ取るという当時の「おしん」物語です。今でも同窓会などで当時の先生と話すと笑って頭を掻きながら照れておられます。おっと話がかなり逸れましたが、そんな8月の暑い土曜日の午後のクラブ活動後に友人と帰り際にジュースやかき氷を食べて帰るという非日常的なワンショットで私の記憶に鮮明に残っています。あたりが夕闇に包まれる頃にはかなり出来上がってきましたが、夜9時からの花火だけは絶対に見逃すことができません。ふらつきながらも帰宅してちょっとの間ですが、仮眠をして午後9時に備えます。昨年までは子供たちを焼鳥屋に連れてきていたのですが、今年は一人飲みです。子供たち4人で来た焼鳥屋の記憶のフォトを見つけると余計に早く酔いが回ってしまったのかもしれません。
夜空に響く花火の音でウトウトしていた夢のはざまの世界から一気に現実に引き戻されます。急いでベランダに出て毎年のことながら花火鑑賞をするのですが、やっぱり今年は家内と二人きりの花火です。長女はテニス部での合宿、長男は大学受験の天王山、次男は佐世保の友人の家にグループで遊びに行っています。花火の音も幾分かは寂しげに聞こえるのは気のせいでしょうか?帰り際に焼鳥屋のおばちゃんが「子供が大きくなったら家族皆で一緒に時を過ごすことが難しくなるので少しでも一緒にいる時を大切にしなさいよ」と言われたのが妙に心に染みながら夏の夜の花火を見上げていました。