この春休みを利用して長女が自動車の運転免許を取得するために自動車学校に通っています。私も大昔の大学1年の春に同じように春休みを利用して通いました。後期試験が終了するのが2月末ですから期間はおよそ1カ月。脇目もふらずに毎日自動車学校通いでギリギリ最短で取得しなければならないハードスケジュールでした。どうにか4月には運転免許証が交付されるも当時の東京での下宿生活で往復は発達した交通網のため車に乗ることなどは皆無です。乗るとすればレジャーでということになりますが、流石に都会の渋滞ラッシュの中でペーパードライバーがレンタカーを借りてまで乗ろうという気持ちにはなりえません。反対車線が見えないほど何列もある車線の両サイドをビュンビュン飛ばして追い越していく車、車、車。そして前後はちょっとでも脇見をしようものなら追突してしまうくらいの車間距離。どれをとっても田舎でノンビリ教習をしたドライバーでは都会の運転は不可能だと運転免許を取得した早々に思い知らされました。ですから下手に運転免許証を持っているとろくなことはないと思い実家に免許証は置いたままの6年間でした。
話は少し逸れますが、当時はまだまだ窓口での本人確認は適当でした。勿論オレオレ詐欺やマイナンバーもありません。「俺は俺!」と顔写真などない健康保険証か学生証で事が足りていました。現在の本人確認で写真必須は勿論でその他に下手すれば指紋照合にもなりかねない時代です。そんな便利ではあるけれども昔より住みにくい世の中になったのかもしれません。しかし科学が発達すると車は自動運転になりいずれは運転免許証自体いらなくなる世の中がくるかもしれません。我々の時代は運転免許取得の講習車はマニュアルのクラッチでした。今の講習車にマニュアル車はまずないでしょう。また講習者もオートマが全てでマニュアルやクラッチという言葉自体が死語化しつつあるといっても過言ではありません。昔、教習所で坂道発進の練習をした時に思いっきりふかしてクラッチを切ったときにはストンとよくエンストをおこしていました。実地でも同じような場面があり信号機が約30秒で青から赤に変わる場所でした。嫌な予感がしていましたが、案の定エンストして青信号で渡り切れずに赤信号になってしまいました。後続車には申し訳ないことをしましたが、下手くそな教習者とノンビリとした寛容な町だったのでしょう。後続車の運転手は何も文句を言いませんでしたが、教習中の一番の失態の思い出となりました。
先週から長女は教習所場内から仮免で外に出て実地が始まりました。昔と違ってオートマはスムーズに乗れるようです。しかし慣れないことの連続に変わりはなくかなり精神的にも肉体的にも疲れているようですが、3月下旬までに警察の実技とペーパー試験に合格しなければ夏休みに持ち越しになります。また仮に合格したとしても私の時と同じく運転免許証を自宅に置いて行かせるつもりです。努力の結晶である最初の運転免許証は第1回目の更新までは金庫に眠るだけの正真正銘のペーパードライバーで事実上ゴールド免許の予定です。そして夏休みには愛車のマーチに乗って助手席は私が乗り教官に早変わりです。