ダイビングショップの相次ぐ閉店

今から27年前の1990年に私は沖縄本島の今帰仁にあるダイビングショップでダイビングライセンスを取得しました。なぜ取ろうと思ったかというと医師になって3年目で仕事は激務でしたが、当時の自分は医師という仕事以外の将来像が全く見えず、このまま仕事だけに明け暮れていたら仕事以外に何も残らないのではないかという一抹の不安があったからです。そこで普段から自分一人でもできる何か新しい趣味らしきものを探していたのです。周囲からゴルフをすればと誘われていましたが、趣味まで仕事の延長の付き合いとスコアの競争は甚だ御免被りたく思っていましたので即却下しました。ある日書店を歩いていると海の写真のきれいな雑誌が目に留まりました。今は廃刊となったのですが「海と島の旅」という月刊誌でした。大学生の頃に石垣島に遊びに行き海の素晴らしさを少しは感じていましたので、一人でできるスポーツで尚且つ仕事の対人関係を完全に排除でき、そして非日常を体感できる趣味として今帰仁のダイビングショップに合宿で取りに行ったのです。3日でライセンスを取得でき沖縄をベースに潜ろうとしましたが、なにせ仕事が忙しく沖縄まで行けずに、私の独身の趣味であったダイビングの一幕は終了となりました。

結婚しても家内はダイビングをしませんのでなかなか事はうまく運びません。その頃より贔屓のダイビングショップは地元でなければと思うようになり長女が10歳になった小4夏に無理やり岩国でダイビングライセンスを取得させて瀬戸内の海の世界を共有し始めました。昔から親子で共通の趣味に憧れて実際も素晴らしい時間を共有できましたし、周囲のダイビング仲間からも羨ましがられました。また長女がティーンの多感な時期であってもダイビングをして話題を共有でき「お父さん、汚い!」なんて言葉は少なくとも私の前ではありませんでした。なにせダイビング後に海からあがった直後は絶世の美女でもハナタレが普通ですから。しかし流石に沖縄と異なり山口は常夏の気候ではなく夏場だけしかダイビングは賑わいませんのでこの高齢化社会と不況で岩国の贔屓のダイビングショップは早々と3年後には閉店してしまいました。その後は須佐のダイビングショップを紹介され長男にライセンスを取得させて昨年までは日本海の海を子供たちと満喫してブログにも話題を提供してきましたが、同じ理由で昨年末に閉店となりました。やはり山口でのダイビングショップの安定経営は不可能なのでしょうか?寂しいかぎりです。再び沖縄にある昔からの贔屓のショップまで足を運ばなければならないのでしょうか?

地域的な気候の特性で経営安定化の基盤が変わるのは致し方ないと思います。しかし不景気に左右され個人の経営努力では到底カバーできない部分もここ山口県ではあると思っています。東京は私の第二に故郷ですが、それでも東京だけ良ければよい若しくはプラス大阪も良ければそれでよしという風潮になっているような気がしてなりません。負け惜しみに聞こえるかもしれませんが、トランプ大統領の自国保護主義の風潮が日本の都市対田舎の構図の中でも芽生えないことを祈るばかりです。

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