年賀状の変遷

毎年10月になると来年の年賀状の枚数を予測カウントします。そして12月までに喪中で減る分を考慮しなければなりません。まだ私の場合、喪中枚数はそんなに多くはありませんが、父の場合は年ごとに減ってきています。今年で88歳になったのですから当たり前といえば当たり前です。しかし年賀状の文面は毎年悩んでしまいます。特に職業柄繋がる相手には無難な文面を毎年適当に選んで印刷します。勿論、手書きが良いことはわかっていますが、そこまで気持ちと時間に余裕がありません。それとは別に昔からの友人に送るための年賀状は家内が子供の写真を撮ってプリントして送ります。そのような家族写真を仕事関係に相手に送るのも少し考えものです。そのように2種類の印刷年賀状を準備するために毎回、前年の年賀状リストを作成してそれぞれ何枚必要かをカウントするのです。そして実際に宛名書きを始めてその枚数が合わなくなると友人にも家族写真を送ることなく仕事相手の年賀状を使用して心の筆で「来年は写真付きで送るから今年はこれで勘弁」と思いながら一筆したためて送ります。また翌年写真付き年賀状を多めに注文して余ると困ってしまいます。ありきたりの年賀状なら余りを郵便局に持参して普通葉書に交換しますが、写真だとその年で一番かっこよく写った写真か皆が揃って撮影した家族の貴重な写真の事も多く交換も躊躇ってしまいます。そしてその年賀状を交換せずに持っていても結局はどこかにいってしまうのが関の山です。子供が小さかった頃は悩まずに仕事相手が50枚で友人が30枚という風にカウントしていたのですが、子供が成長して成人してくると家族集合写真を友人に送るのもそろそろ卒業かなあと思い始めます。子供が結婚してなかったらまだ家族の集合写真を送れますが、それでも少しずつ違和感を覚え始めます。自分がそのように思い始めると同時に新年に送られてくる友人からの年賀状を見ても同じ違和感が芽生えてきます。友人からの年賀状も家族の成長の軌跡を表現したものではなく、旅行に行った時の一般的な写真のプリントアウトに変化して差出人も子供の名前をはずして夫婦二人の連名にするか個人の名前の手書きに変化してきます。そして最後には仕事も友人も分け隔てなく同じ文面のシンプルな年賀状へと変わっていくのでしょう。

以前はプリンターやパソコンが普及していなかったので年賀状を書くこと自体が12月の一大イベントでした。そしてそのイベントが面倒くさかったのですが、一方で一枚一枚相手を思いながら書いていたのも事実です。しかしそれが文明の利器の登場で時間と手間暇をかけなくなり薄っぺらな一枚の厚紙に取って代わってきたように思えます。だからせめても写真くらいは今の気持ちを込めてと思っていましたが、それもあと10年も経たないうちに終わるかもしれません。表の宛名書は印刷で30分もあれば100枚なんてすぐに終わりです。便利な世の中になったものですが、一抹の寂しさというか不安も感じます。しかしもう昔の手書きの時代には戻れません。今はスマホで年賀の一斉送信もあるようですが、そこまでドライになる勇気は私にはまだありません。

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