皆さんは守らなければならないものと言えばどんなものを想像しますか?守らなければならないものには2種類あります。一つは法律などの人間が生きていく上で守らなければ社会生活が成立しない最低限のルールです。もう一つは愛する家族などどうしても自分の手で可能な限りの力で防衛しなければならないものです。国家でもそうです。自分が住んでいる国や故郷があるからこそ守らなければならないという使命感が出てくるのです。もし無国籍で流浪の民ならばその愛する土地を持たないのですから、もしかすると守るべきものがないかもしれません。しかしそのような人々でも守るべき家族はいるでしょうし、もっと大きな目で今現在生きている青い地球という惑星を宇宙からみればこの星を皆で大切に守っていかなければいけないと思うのではないでしょうか。
この青い地球を宇宙から眺めることのできる人はこれから将来宇宙旅行が盛んになれば話も変わりますが、今は写真や宇宙飛行士からの動画映像でしか見ることができません。この青い地球を我々は守っていかなければなりません。しかしそれはとてつもなく大きなことで今現在自分たちの生活で汲々としている者にはそのような余裕などありません。ですからもう少しわかりやすい身近なものを対象にしてみましょう。そうすれば自ずともっとも身近な存在は家族になるわけです。家族といっても両親や子供など血縁関係をたどればきりがありません。人類は皆兄弟!なるフレーズが昔、日本船舶振興会の笹川会長が叫ばれていたのを記憶している方は40歳以上の方でしょう。でも生きているものは皆平等で差別など絶対にいけないと学校では教わりますが、社会に出れば差別、区別の嵐で更に本音と建前の世界です。クジラやイルカは保護しなければいけないと叫ぶ一方で豚や牛は同じ哺乳類なのに食べてもいいのでしょうか。大きな目で見ると少し違和感を持ちます。自分が牛肉や豚肉を食べるから言い逃れをするわけではありませんが、生きるもの全て平等という観念からすれば違和感があると言いたいだけです。だからといって私はベジタリアンになって頭を坊主にして仙人になろうなんて思ってはいません。でも月に立って青い地球を見ることを想像すると、今の自分も少し立ち止まってもう少し微力ながらでも考えなければならないと思うのです。少しでも考えればその分だけ行動も変わります。個人個人は微力でもその小さな行動変容が集まればこの青い地球を守ることになるのです。そして最終的には一番小さな単位である家族を守ることにもつながるはずです。
規則を守ることと大切なものを守ることは同じ守るでも全然意味が違いますが、規則を守れないものにもっと大切なものを守れるわけがないと私は思います。そしてその小さな一つ一つを守ることがやがて大切な家族を守り人類ましてや生きるもの全てを守ることにつながるのではないかと思っています。どんな些細なことでもちりも積もれば山となり、小さな雨の一滴も長い年月で岩をも砕き大河となる、そして前へ進んでいけば必ず道は開けると信じています。