無知とタダほど恐ろしいものはない

「無知ほど恐ろしいものはない」という言葉がよく聞かれます。意味は異なりますが、「タダほど高いものはない」というフレーズとよくセットで考えてしまいます。どちらの言葉も結局は「それじゃあいかん。もっとしっかりと物事を見極めなきゃダメだよ」という教訓的なフレーズだと解釈しています。まず無知について。たとえば憲法9条の改正についての無知のまま国民投票に持ち込まれて過半数が賛成すると、衆参両院で多数決にかけられて3分の2以上の賛成を得られたら日本は戦争ができる国になると反対政党は言い続けています。しかし賛成政党は憲法改正したからといって=戦争することはないと反論します。また消費税でも国民福祉のために使うとしていますが、実際に入ってきたお金に名札はつかないので曖昧になってしまいます。マイナンバー制度もしかり。国民皆平等精神にのっとって税の徴収や役場での福祉医療制度の簡素化をしますとうたっています。なるほどそう言われたら「そりゃ、素晴らしい!」と思うこともあれば、いずれ改正されて戦争ができる国になる足がかりにされると警戒する人もいます。どちらが正しいかなんて結局のところわからないのが真実でしょう。しかし表と裏があるように国民は自分たちの国を守るためにそれこそ清き1票を投じる必要があるのです。それを無知であることを認めたまま投票を棄権したりすることこそが問題なのです。現代の世の中はとかく無責任なことが多いことは承知の上ですが、それでもこれからの将来の日本の方向性を決めることなのでもっとしっかり関心をもって無知から脱却しなければなりません。日本国民が無知なのではなく、国民が考えなくなることが無知へとつながり暴走して将来の世代につけをまわしてしまうのです。

もうひとつのタダですが、これは無知よりもお金が絡むことなのでもっと実感できるのではないでしょうか。資本主義経済のこの世の中においてタダで得することなんてまずないでしょう。しかし人間はあさましい欲をいくつか持ち合わせているためにどうしても安きに流れてしまいます。それが悪いというわけではありません。度を越した欲を出すと必ずしっぺ返しが来るということです。貨幣経済ですから、株やギャンブルなど合法的に儲けることも決して悪くはないのですが、個人的には汗水流して儲けるお金が尊いものだと今でも信じていますしこれからも信じ続けたいと思っています。よくダイレクトメールで儲け話の勧誘が届きますが、まったくと言っていいほど興味すら湧きません。また日経平均株価が上がった、下がったとニュースで騒いでいますが、持ち株の無い者にとってはただの数字の羅列です。いずれまたはじけては膨らむものくらいにしか思えません。30年以上前のことですが、郵便定期貯金を50万円預けたら10年後に100万円になって返ってきた時代を経験しています。それも突き詰めれば株で増やすのと同じようなものですが、なんとなくマネーゲームには加担したくないのが本音です。必ず世の中は浮き沈みがあり上がり続けることはありませんから。そして下がり続けることもないでしょう。

カテゴリー: 日常のこと パーマリンク

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です