「今年最も活躍した若しくは躍進した日本人スポーツ選手は誰でしょう?」と聞かれたらあなたなら誰と答えますか?私だったらテニスの錦織圭選手と答えます。勿論、その他の競技ではフィギアの羽生君と答える人もいるでしょう。しかし頂点に立つためには人一倍どころか人の何十倍もの努力が必要なことは言うまでもありません。いつからでしょうか?日本人が堂々と胸をはってプレッシャーに打ち勝っていく姿をテレビ画面で普通に見るようになってきたのは?昔だって金メダルをとるような強者もたくさんいましたが、何となく日本国民の大きな期待を背負って結果を残せなかった選手もたくさん見ました。それを個人の責任にするか、過度な国民の期待のプレッシャーに負けたとするかは議論が分かれるところですが、いずれにせよ悔しい思いのみが残ったことと思います。それをリベンジした選手は結果として成功ですが、がんばっても結果が残せなかった選手もたくさんいます。その場合は彼らを敗者と見なすのでしょうか?これも議論の分かれる所です。
私は高校からしか受験していませんが、受験だって競い合うという観点からいえばスポーツ選手の勝負の世界とそう変わらないと思っています。特に中学受験の経験のない私ですが、今の子供たちはその競い合いの厳しさをたかだか10歳くらいから経験するのです。受験と比較すればスポーツの世界では常に一番を目指さなければいけませんが、受験の場合その学校の指定人数枠内に入り込めばセーフなわけです。だから競争率がスポーツ選手と比べればはるかに広いのです。しかし自分にとっての頂点を目指す途中過程はスポーツだろうが勉強だろうが一緒で、毎日毎日自分と向き合いながら一歩一歩階段を上っていく感じでしょうか。夏の全国高校野球大会はその頂点を目指して毎日毎日の努力の積み重ねの結晶です。しかし同じ高校生の受験戦争だって野球に負けず劣らずの努力の賜物です。
ただその勝負の世界で一つだけ不合理なことがあるのです。それは中学受験をしたものにしかわからないのですが、高校受験以後は義務教育ではないので何回でも本人次第で勝負ができるのです。オリンピックの金メダルを取る確率は東大に入るよりはるかに困難で天文学的倍率になりますが、それでも4年後、8年後を見据えることもできるのです。しかし義務教育の中での中学受験という勝負は小学6年生いうたった1回の勝負ごとのみで、負けても来年のリベンジはないのです。だからこそ天文学的倍率ではなくてもその過程で親子のドラマが待ち受けているわけです。上の二人は中学受験をして自分の夢の希望枠という名の金メダルには1勝1敗でした。リベンジのない負けであっても子供はたくましいものです。少しの間は荒れたりする時期もありますが、新しい世界でまた伸び伸びと成長していきます。その間、親は何もすることができず無力感に悩まされてただただ見守るだけです。不安や焦りそして「なんでそうなったのか?」という疑問を持ち続けます。そして月日が経過してようやく暗いトンネルの向こうに一筋の光が見え始めたときに、初めて過去の勝負の本当の意味を本人と親の両方が理解しあえる日がやってくるのです。