「滑り止め」なんて失礼

この冬は日本中で雪が多く寒い日が続いています。私が中学、高校生の頃はこの地区でも年に数回は20㎝程度の雪が積もることもざらでした。大雪の中を靴には滑り止めもなしに歩いて学校に登校していました。というよりも北国ではないので靴自体に滑り止めが装備されていることすら知りませんでした。その後大学で上京した初めての冬は「東京の雪はなんて多いことか」とびっくりしました。東京から直線距離で800kmも南西に離れた西の青森からすれば当然のことです。この「西の青森」とは高校時代の担任が山口県なんて東京中心の世の中から見れば「東の山口」と言っても全く位置関係を知らない人も多くいることを揶揄されたもので当時妙に納得したのを覚えています。雪に関しては東西の端ではかなり違いがあり、中心の東京は山口よりかなり北東のため雪が多いのもこの位置関係から身をもって体験しました。そして東京では路上が凍ってかなり滑りました。大学受験はほとんど全て滑りましたが、母校の一校だけが私に微笑んでくれましたので現在の私があります。今回の話題は大雪の滑り止めから派生していますが、本題はこれからです。

大学入試の時には大学名を第一志望から第三志望まで模試の答案に記入して後日に採点結果と偏差値と入試判定がAからEまで出ます。通常は第一志望いわゆる本命校の判定はCかDがほとんどです。そしてその上に夢を膨らませたチャレンジ校があります。これは判定ではほぼEです。だから夢に向かって頑張れるのです。また第二志望は本命でも確実に合格できる堅実校で判定ではBあたりでしょうか。そして最後に登場するのが第三志望で判定はAからBです。そしてこの第三志望校こそ我々の時代も今の時代も全世代共通の認識として別名「滑り止め校」とついつい言ってしまいます。事実関係からすると間違いありません。しかし今回の次男の大学受験を通じてその言葉の響きに非常に違和感というか抵抗を感じていました。今までは何気なく使用していた言葉をある事がきっかけで急に使いたくなくなるという現象です。この気持ちは長女や長男の大学受験の時や当時の自分の受験時には全く気付くことができませんでした。だから気軽に「滑り止め」という言葉を自身で発していたのだと思います。ところが今回の次男の大学入試においてEの連発で挙句の果てに進路変更を余儀なくされた経緯から現在の私立大学受験校をまかり間違っても「滑り止め」と言う言葉はその学校で夢を持って頑張っている受験生に大変失礼に当たり無神経な発言だと思います。そんな当たり前のことも自分が当事者になってみないと気付くことができないのですから、必死で頑張っている次男を見ながら自分自身とても恥ずかしく反省しています。

「雪が降ると滑るから受験生は雪道を歩かない」とか「スケートやスキーは受験生には禁忌」など日本人は言葉尻をとることが好きな国民ですが、実際に今年の大雪と受験の現実の厳しさを身にもって体験した自分としては、何気なく言い放つ「言葉の矢」が別の人には突き刺されるような気持になるかもしれないという事を肝に銘じなければなりません。

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四半世紀も過ぎれば建物に綻びも増える

1月中旬の深夜2時過ぎにいきなり火災報知器がけたたましく鳴り始めました。以前も深夜に一度鳴りましたが、私が不在で家内が一人で右往左往しながら対応しました。勿論のこと誤作動ですが、警備会社からの電話や実際に警備員が確認に来てその後は深夜にも関わらず火災報知器担当会社にまで電話してやっとのことで深夜に響き渡り続けたけたたましいベルを止めることができました。その詳細は私が出張から戻ってきて初めて聞きましたので実際には非常に大変だったのですが、他人事のようにしか聞こえませんでした。その時の誤作動は気温や湿度による可能性があると言われたもののはっきりした原因はわかりませんでした。そして今回も同じ丑三つ時でした。正月明けからずっと雨も降らずに空気がカラカラに乾燥した後に雨がザーッと降ったのがトラブル当日の昼間で、その深夜の出来事でした。家内が以前の苦い経験をもとに対応マニュアルを作成していましたのでその通りに実行に移しました。まずは本当に火事でない事を確認しなければなりません。その確認中はずっと深夜の静まり返った家中にけたたましい音が鳴り響いています。そして火事でないことを確認した前後に警備会社からの電話が鳴ります。そこで誤作動であることをお話ししますが、警備担当者もこちらに向かって確認しなければなりません。その間にマニュアル通りに警報解除を試みますが、うまくいかずに警報が鳴り続けます。やっとのことで警報を止めることができましたが、5分もすると再び警報音が鳴り始めその繰り返しです。警備会社の方も到着してどうやって対処しようか3人で色々と試みますがうまくいきませんので、前回同様に火災報知器会社に深夜にも関わらずに電話をして止め方を聞きました。その結果、警報ベルは鳴らなくなりましたが、警備会社の警報音が連動してやはり5分ごとに鳴ります。もう午前3時を回っていますが、仕方なしに私が起きて5分ごとにそのリセットを繰り返すはめになりました。しかし流石に朝までつきあってられないので一人で思案していたら、昔の人なら誰でも一度は試したことがある電源を一度落とすことにふと気づきました。更に停電時の予備電源の線も同時に抜いたことは言うまでもありません。これで朝まで安眠です。

翌日には、我が家の蛍光灯が切れて付け替えましたが、光りません。多分元の基盤がいかれたので、電気屋さんに後日その部屋の電灯を全てLEDに交換してもらうことになりました。LEDへの交換の場合徐々に変えていかないと工事費がかなりかさみますので、自宅兼診療所ではLEDに置き換えたのはまだ2割弱といったところでしょうか。長い目で見れば早くLEDに変えたいのですが、先立つものも必要で一気に交換できません。そして火災報知器もLEDの交換も大騒ぎした10日後には全て工事完了しました。

この自宅兼診療所も今年で築四半世紀になり、色々なトラブルが発生するようになりました。まだひどい雨漏りはありませんが、台風が来ると翌日に天井が少し濡れてシミになることもあります。人間も建物もそろそろ最終段階に入ってきたのかもしれません。

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掛け持ち受験大移動

先々週は10年に一度と言う大寒波が襲来しました。そしてインフルエンザを含めた感染症が流行してそろそろ花粉症も始まります。このような三重苦の中で毎年受験生の大学入試が過渡期を迎えます。海外と同じように9月からの新学期スタートについて新型コロナが猛威を振るい始めた頃の2020年に検討されましたが、結局実現できませんでした。もしあの時に当時の総理が決断されたなら歴史は大きく動いていたかもしれません。仮に大学入試が6月になれば梅雨の時期と重なるものの梅雨末期の災害級の大雨を除いて受験生にとって多くのトラブルは見当たりません。そのような愚痴を今になって言っても仕方ありませんので、本題に入ります。

先週は私立大学入試が集中してあっため次男は新幹線で地方と都会の行脚でした。大学名は非公表としますが、昔の入試は大学のある市町でしか受験できませんでした。しかしいつの頃からでしょうか、現在は北海道にある大学は東京や大阪でも受験も可能となりました。受験生にとって時間とお金の負担はかなり軽減されましたが、東京往復でも地方からなら丸二日は必要です。そのため地方出身の受験生は都会の受験生よりも不利になることは間違いありません。更に連荘で入試会場を移動ということもよくあります。初日が東京で夕方まで試験を受けて終了すればその足で新幹線に飛び乗り大阪に移動して疲れたままホテルにチェックイン、そして翌朝から2日目の入試突入ということもあります。12月のまだ入試本番に突入してない頃の机上の予定では十分にその行動は可能です。しかし共通テストが予想外の結果に終わってしまうとその後の入試行脚計画の大幅な修正が必要になります。つまりスパイ大作戦のように精密な時間で動いて事を成し遂げることは事実上不可能で、その狭間に人間の微妙な心理戦も加わってしまうのです。「今日の試験はできなかったので明日はもっと緊張感をもって頑張らねば」という余計なプレッシャーも加わり更に自らを精神的に追い込んだ状況で新幹線での暗い中の移動は辛いものがあります。また三連荘という受験生もかなりいるでしょう。そのような厳しい寒さとプレッシャーを跳ね除けて受験生に桜が咲く春が訪れます。一方でその勝負に敗れる受験生も必ず存在するのも事実です。夢叶わぬ受験生は再び受験生として再チャレンジをするか、別の道に進むかを1ヶ月も満たない短い期間で決断しなければなりません。それは我々を含めて皆が同じ経験をしてくぐり抜けてきた道です。たまたま私は運が良かったのかもしれません。ついつい自分と重ね合わせて次男を見てしまいますが、次男と同じ立場だったら当時の自分はそのプレッシャーに押しつぶされていたかもしれません。

40年以上前、私も2月中旬に1週間以上東京のホテルに連泊して私立大学を3校掛け持ち受験しました。その間に大移動はありませんでしたが、それでも田舎者が一人で知らない大都会で毎日過ごすのは大変だったように記憶しています。今回の掛け持ち受験大移動も大変ですが、歳をとれば結果いかんによらず良き思い出になると信じています。

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共通テストと大学入試の多様化

先々週末に大学入試共通テストが行われました。次男は地元の周南公立大で受験できるものと思っていましたが、山大キャンパスまで行く羽目になりました。上の子の場合も浪人すると自宅や予備校の近くで受験できることは皆無で敢えて遠方の受験会場が指定されました。子供が浪人して親も殺気立っていますので、ついつい浪人生に対する嫌がらせかと被害妄想に陥ります。私も40年前に山大キャンパスで共通一次試験を受けましたが、雪の中を歩いてキャンパスに行ったのは昨日のようです。結果は無残でその後の共通一次試験から今日の共通テストに至るまでの国公立の一次試験には自分と子供を含めて悪夢ばかり見続けています。今回もまた悪夢の再来かと思うとげっそりとなります。自分で蒔いた種を自分で刈り取る作業が受験ですので、誰にも文句を言うわけにもいきません。そんなこんなで今年の次男の共通テストも無事に終了しましたが、自己採点はかなり厳しい結果となりました。昨年冬の最終模試でもE判定でしたのである程度は予想していましたが、現実を突きつけられると本人共々滅入ってしまいます。そのため事前にその滅入った時の二次試験への対処計画も予め予備校の三者面談や本人との直接のやりとりで3パターンを準備していました。Aならイケイケゴーで体調管理を主体にそのままを維持で、Bならかなり厳しいが予定通り二次試験で勝負するしかなく、もしCならば流石に予定通りに進めても不可能に近いため諦めて次の人生を考えるというパターンです。昨年既にCをくぐり抜けていますので、今回は前回ほど大きな落ち込みはありませんが、それでも滅入ります。今回は共通テスト結果に関わらず意地でもBで進めることにしました。しかし限りなくCに近いBであることも事実で、このまま3月下旬まで綱渡りが続きます。

今回のABCを決めるにあたり個人的に次男の志望大学の過去問や過去の入試の合格者最低点や平均点など詳しくネットで調べ自分には新たな発見が多くありました。通常、2月下旬の前期試験の方が募集人数も多く受験生が殺到します。一方で後期試験は募集人数が少ないため合格最低点や平均点も前期より跳ね上がってしまいます。それは誰しも疑う余地はありません。特にこのコロナ禍では受験生も安全・安定志向が強く危険な賭けを回避する傾向が強いため更に後期試験の難易度が上がります。しかし最近の大学は少子化のためか一部の大学を除いて人員確保に苦労しています。そのため国立を含めてAO入試や推薦入試など多様化し、私立に至ってはそれに共通テスト利用の書類審査のみや併用二次試験など更に複雑化しています。昔のシンプルな共通一次試験をくぐり抜けた世代からすると現在の大学入試制度は試験と同じくらい難化しています。逆に言うと情報戦や駆け引きもあり少し希望大学を下げればどこかには入学できる可能性も高いのです。今年の共通テストの平均点は昨年と比較してアップしたようですので、今後は自己採点の結果とその情報と駆け引きを照らし合わせながら詳細に検討して、限りなくCに近いBパターンでどうにか今年で入試戦争に終止符を打ちたいものです。

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相手に寄り添いながらラストスパート6週間

共通テストも終わり二次試験まであと残すところ1か月をきりました。子供は不安と緊張が続いていますが、親は更に殺気立っています。自分のことでも他人事でもないこの半人事が一番親として苦しく感じているのでは私だけではないでしょう。正月明けからmaxに達した新型コロナも今後は徐々に減少傾向になることを期待しています。そんな時に限ってまた別のこのような難題が身に降りかかってきます。本当にいいタイミングで次から次へと襲来してきます。それでもこの長い長い受験戦争もあと1か月あまりで終止符を打てるかもしれません。その集大成として最後の追い込みを自分に課して現在進行で頑張っている状況です。

「子供にとっては受験に必要でも自分にとっては一文の得にもならない?数学や理科をなぜ勉強するのか」といつも自分に問いかけます。これには数学のように正解はありませんが、子供と同じ土俵に立つことが相手の気持ちを一番理解できるのではないかという自己満足表現ではないかと今の自分は思っています。しかし1年後には答えが変わるかもしれません。世間を見渡すと相手のことを理解した風に見せかけて自己主張をする人をよく見かけます。よくある身近な例では「自分は日々勉強をしないのに子供に勉強をしろ」とうるさく言う親を見かけます。「昔、自分が勉強しなかったので損をしたからと子供にその怨念を押し付けようとする親」もたくさんいます。そのような行動について私は疑問を持っています。一方で「親は金を稼いで子供を育てる」という親子の分業制の考え方もあります。実際にティーンエイジャーの頃のスポンジのような脳みそと比較すれば還暦に近い凝り固まった脳みそでは吸収し解読する能力は段違いで劣ります。それはこの何年もやってきた自分には痛いほどわかりました。それでも何回も繰り返して少しずつでも前進させることが、その他全ての事象に対して有効な手段としてのスキルに繋がると信じてやってきました。40年前の自分は能力以上に努力で切り抜けたといっても過言ではありません。しかし世の中には努力しても花の開かない人もたくさんいるのも事実です。しかしその努力こそが新しい道を進むことになったとしてもそのスキルとして必ず役に立つと信じています。子供が3人いればお頭も三者三様で得手不得手があります。自分の現在の錆びついたお頭で苦労している姿が三者三様のお頭の子供の気持ちを理解しようとすればするほど「勉強しなさい。さもなければ将来、きっと後悔する」というような常套句を簡単に発することはできないのです。

「郷に入れば郷に従え」という諺があります。繰り返しになりますが、相手の気持ちを理解するには相手と同じ土俵に立たなければ理解できません。同様に医者なんて病気の知識は豊富でも病気を罹っている相手の気持ちを理解することはなかなか困難だと以前から思っています。「相手に寄り添う」と世の中では簡単に言いますが、どこまで本当に理解しているのでしょうか?少なくとも私はまだまだその域には到達できていません。

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